TACHIHI

Auberge TOKITO

伝統を受け継ぎ、
世界へ、
そして未来へ

歴史ある建物を継承し、
日本料理という文化を
発信する
場所となるために生まれた
「オーベルジュ ときと」

立川の地域に親しまれていた「無門庵」。先の大戦時、軍の将校たちが宴席などで利用し、戦争末期には特攻隊が出征前に祝杯を挙げていた場所として歴史のある建物です。その「無門庵」を継承し、食房と茶房、宿房からなるオーベルジュとして生まれたのが「オーベルジュ ときと」。このプロジェクトに立ち上げから関わったお二人に、ときとの今とこれからを語り合っていただきました。

稀有な出会い、
増幅される夢

大河原 謙治

オーベルジュ ときと
総支配人・総料理長

―― お二人がこのプロジェクトへ参加された経緯を教えてください。

大河原 謙治

オーベルジュ ときと
総支配人・総料理長

大河原 謙治(以下:大河原):私と石井さんは、吉兆本店で石井さんが副料理長を務めていたころに約一年半を共にした間柄です。その後、それぞれ違う道に進みましたが、直接ご一緒することはなくとも関係は続いていました。

コロナ禍に差しかかった頃、私が京都で懐石料理「いと」の料理長をしていた頃です。立飛グループの「無門庵」のプロジェクトのお話をいただき、私は強く心を惹かれました。特攻隊員たち出征前の祝杯の場であった「無門庵」。そして地域に深く根ざし、人々の記憶を内包したこの場所の意味を、いかに次代へ受け継ぐのか——その問いそのものが、非常に意義深いものだと感じたのです。「誰が、どのように引き継ぐのか」。話を重ねるうちに、自分が関わるべきプロジェクトだという思いが自然と芽生えていきました。

ちょうどその頃、ロンドンから帰国した石井さんが京都を訪れ、「少し話そう」と声をかけてくれました。彼がいれば、この立川での新たな挑戦を、より良いかたちで築いていける
そう直感し、石井さんにこのプロジェクトを伝えました。それが始まりです。

石井 義典

オーベルジュ ときと
プロデューサー

―― 店名「ときと」にはどのような意味がこめられていますか

石井:朱鷺(とき)の羽は美しいグラデーションを持っています。「とき色」は日の出から完全に明るくなるまで、あるいは夕暮れのわずかな時間——刻一刻と変化する色彩の総体のことです。

それは、私たちの料理の在り方そのものでもあります。固定されたシグネチャーディッシュはありません。食材も環境も常に移ろう中で、その瞬間に最も良いものを見極め、組み立てていく。それが「ときと」の料理のコンセプトです。

また、オーベルジュとして、チェックイン後、茶房で一息つき、やがてディナーへと向かう。時間の経過とともに場所を移し、異なる空気を味わっていただく。
そうした”時の流れ”そのものを体験していただく場として、「ときと」という名が、料理や空間の方向性にも深く関わっています。

さらに言えば、人は移ろっても、「オーベルジュ ときと」という存在は、常に未来を見据えた発信基地でありたい。そんな願いも、この名前には込められています。

―― 石井さんはまだロンドンのミシュラン店「UMU(ウム)」にいらした頃でしょうか?

石井 義典

オーベルジュ ときと
プロデューサー

石井 義典(以下:石井):はい、当時はUMUにおりました。海外での活動が20年ほど続く中で、日本と自分の距離が少しずつ広がっていく感覚があり、自分自身がもっと日本を深く学ばなければならない——そんな思いが強くなっていた頃でした。
大河原と再会した際に、「日本に拠点を持ちたい」という話をしたのは、まさにその延長でした。結果的に、互いのタイミングが不思議なほど重なったのだと思います。

大河原:当時はコロナ禍の真っただ中で、多くの料理店が変革を迫られ、淘汰されていく状況にありました。一方で私は、世界がある意味フラットになったとも感じていました。
そうした中で「無門庵」のプロジェクトのお話しをいただき、さらに石井さんが帰国を考えていると知ったとき、この取り組みを通じて、新しいメッセージを世界へ発信できるのではないかと直感したのです。

実は以前から、日本料理、そして日本の料理人を取り巻く現状を変えていきたいという思いがありました。また、コロナ禍によって海外から帰国を余儀なくされた優秀な料理人たちが、再び世界へ羽ばたける場所をつくりたい——そんな思いも芽生えていました。このプロジェクトこそが、その起点になると確信したのです。

石井さんには以前から「石井さん、発射台になってほしい」と伝えていました。世界に向けて発信する拠点となるレストランを立川に築いていく。その感覚を、石井さんをはじめとするスタッフと共に共有しながら、このプロジェクトが進んでいきました。

ときとの創り出す
スタイルとは何か

―― 「ときと」が目指すスタイルとは、どういうものでしょうか?

大河原:料理の観点から言えば、伝統的な日本料理をそのまま立川に持ち込んでも意味はないと考えています。ここで目指しているのは、立川だからこそ成立する、新しい日本料理のスタイル。言うなれば「立川料理」です。それが「ときと」のスタイルになっていくはずです。完成形に向けて、いまもなお進化の途上にあります。

石井:「世界に発信する日本料理」です。それは、私自身が人生をかけて追い求めてきたテーマでもあります。料理を通して、日本の文化、自然、美意識、そのすべてを伝えていく。その舞台が海外から日本の「ときと」になりました。

――創業時に掲げた「Artisan Cuisine for New Luxury」とは?

石井:正直に言えば、「ときと」の料理を一言で定義することに、私たちは抵抗があります。料理は言葉ではなく、体験として感じていただくものだからです。

ただ、社会に向けて発信する以上、言葉が必要でもある。「アルティザン・キュイジーヌ」という言葉は、異なる背景や技術、思考を持つ卓越した料理人=アルティザンが集まり、時間と手間を惜しまず、丁寧につくり上げる料理と食文化を届けていく——その意思を表した造語です。

この規模の施設でなければ挑めないことがある。だからこそ、それぞれのアルティザンが持つ技術や感性を持ち寄り、ここに集約しているのです。

また、「ラグジュアリー」という言葉に明確な定義はないと思っています。形式的なサービスではなく、時間の流れの中で心から寛いでいただくこと。お客様に寄り添うこと。それこそが、私たちの考える「ニュー・ラグジュアリー」です。

建築の過程では、「無門庵」の時代から生えていた木々が伐られました。本来は廃棄されるはずだったその木を、私たちは器として生まれ変わらせました。
木工の専門家ではないスタッフが、自らの手で仕上げた器。陶芸も同様です。そうした”つくる姿勢”そのものが、アルティザンの気質であり、「Artisan Cuisine for New Luxury」に込めた思想なのです。

立川、
地域文化発展の為に

石井:正直に言えば、多摩地区には「日本最高峰」と言われる食材が集まる環境はありません。都心のような中央市場もなければ、土地固有の食材テーマもない。
しかし、だからこそ可能性がある。何もない場所から、選び、組み立て、意味を与えていく。
食に時間を費やすことが、人生を豊かにする文化であるということを、日々伝え続ける。その積み重ねが、新しいマーケットを生み地域の発展へと繋がると信じています。

大河原:難しさも含めて、「ときと」を心から楽しんでいます。「ない場所に、ないものをつくる」。ビジネス的には無謀かもしれません。でも、誰もができることをやっても面白くない。

立飛ホールディングス・村山社長の、地域文化を育てるという思想に共感しています。この街を、飲食を通じてどう変えていけるのか。その挑戦を続けています。

――現在取り組んでいることは?

大河原:立川という立地の壁は大きい。だからこそ、圧倒的な魅力を創り出す事です。例えば、日本料理は季節を大切にしますが、あえて季節感にこだわることなく、デザイン性を重視した器を使ったり。食材選びも、ブランドに頼らず、自分たちの目と舌で選び抜くなど。そういった積み重ねが、「ときと」にしかない味を生み、圧倒的な魅力になります。

日本料理の
新しい未来を
立川から

大河原:日本料理には、世界で通用する力があります。一方で、料理人を志す若者が減少しているという現実もあります。だからこそ私は、「料理人は世界で活躍できる仕事なのだ」という事実を、もっと社会に伝えていきたいと考えています。

日本料理は、世界が求める豊かな文化です。「オーベルジュ ときと」では、料理を一過性の技術としてではなく、再現性を持った文化として磨き上げながら、世界で通用する人材を育てていく。その両立にも挑んでいます。

ここで育った料理人が、自ら食材を見極め、地域性に依存することなく、器や空間までも含めて一つの食体験を構築していく——そんな料理人像を実現したい。その先には、「ときと」から生まれた料理人たちが世界へと羽ばたき、新しい人材の循環を生み出していく未来があります。

ここ立川から、日本料理の新しい未来が世界へと広がっていく。その中心に「オーベルジュ ときと」がある。
私たちは、そうした未来を本気で描き、日々の料理と人づくりに向き合っています。