TACHIHI
1952- HISTORY OF TACHIHI GROUP

● 戦後初の全国訪問飛行を実現 
R-52型軽飛行機(機体記号:JA3017)

累計機数:1機
【機体諸元】
全幅:10,700mm
全長:7,350mm
全高:3,000mm
乗員:2名
最大速度:176km/h
航続距離:610km
上昇限度:4,000m

飛行機製造は戦後禁止されていましたが、サンフランシスコ平和条約により
国産飛行機製造が解禁されると、いち早く対応し、「R-52型軽飛行機」を
製造しました。R-53とともに1954年(昭和29)9月に、北海道から九州まで、
全国主要都市への訪問飛行が実現、全国で話題を呼びました。

● R-53型軽飛行機(機体記号:JA3070)

累計機数:1機
【機体諸元】
全幅:7,500mm
全長:10,700mm
全高:2,650mm
乗員:
最大速度:207km/h
航続距離:
上昇限度:4,500m

1953年(昭和28)に完成したR-52の改良型です。
エンジンはイギリス製シラス・メジャーに換装されています。
R-52と共に、全国主要都市への訪問飛行を実現しました。

●「プー・ド・シェル(空の虱)」が愛称 
R-HM型軽飛行機(機体記号:JA3094)

累計機数:1機
【機体諸元】
全幅:8,000mm
全長:5,800mm
全高:2,000mm
乗員:2名
最大速度:150km/h
航続距離:674km
上昇限度:3,000m

フランス人技師アンリ・ミニエ氏が設計に参加。
「プー・ド・シェル(空の虱)」という愛称を持っていました。
低速での飛行が可能な反面、高度な操縦技術が要求されたために、
残念ながら量産はされませんでした。